久米宏さん死去。死因は肺がん、最期は「Nステ最終回」のように。黒柳徹子との絆と2000万円の終活

久米宏さん死去「ニュースはもっと自由でいい」最後の言葉

日本のテレビ史に巨大な足跡を残したフリーアナウンサー、久米宏さんが81歳でこの世を去りました。『ザ・ベストテン』での軽妙な司会や、『ニュースステーション』でニュースの概念を覆した伝説的なキャスターとしての姿は、今も多くの人の記憶に鮮明に刻まれています。

彼が築き上げた時代は、まさに放送文化の変革期そのものでした。私たちの生活に新しい風を吹き込み、時に社会へ鋭い問いを投げかけ続けた久米さん。その功績を振り返ることは、日本のメディア史を辿ることでもあります。

本記事では、久米さんの死因や最期の様子、妻・麗子さんが語った感謝の言葉、そして生前から準備していた「終活」の真実まで、その足跡を詳しく辿ります。稀代の表現者が最期に見せた生き様を、どうぞ最後までお読みください。

目次

久米宏さんが肺がんのため死去。81歳の旅立ち

2026年1月13日、所属事務所であるオフィス・トゥー・ワンより、あまりにも悲しい訃報が届けられました。フリーアナウンサーとして長きにわたり第一線で活躍した久米宏さんが、1月1日に肺がんのため永眠していたことが明らかになりました。81歳という年齢での旅立ちは、多くのファンや関係者にとって受け入れがたい現実かもしれません。

静かな別れを望んだ久米さんの遺志を尊重し、葬儀はすでに近親者のみで執り行われたとのことです。新年を迎えたばかりの穏やかな日に、昭和から平成、そして令和へと駆け抜けたひとつの大きな時代が幕を下ろしました。公表まで時間を置いたことからも、周囲への配慮を欠かさない彼らしい美学が感じられます。

病魔と闘いながらも、最後まで自身のスタイルを貫いた久米さん。その死因が肺がんであったという事実は、私たちに改めて健康や命の尊さを問いかけているようです。ニュースキャスターとして数々の真実を伝えてきた彼が、自身の人生の幕引きにおいても、飾らないありのままの姿を示してくれたように思えてなりません。

最期は「Nステ」最終回のよう。妻・麗子さんが明かすエピソード

大好きなサイダーを一気に飲んで

久米さんの最期の瞬間について、妻である麗子さんが心温まる、そして涙を誘うエピソードを明かしてくれました。それはまるで、彼が長年心血を注いだ『ニュースステーション』の最終回を彷彿とさせるような、見事な幕引きだったといいます。

2004年の番組終了時、久米さんは放送の最後にビールを美味しそうに飲み干し、笑顔でスタジオを去りました。麗子さんによると、旅立つ直前の久米さんもまた、大好きなサイダーをリクエストし、それを一気に飲み干したそうです。「おいしい」と満足げな表情を浮かべたその姿は、最後まで人生という舞台を楽しむ表現者のようでした。

サイダーの爽快感とともに旅立った久米さん。苦しむ様子を見せることなく、軽やかに次の世界へと向かったその最期は、私たちに残された最後のメッセージなのかもしれません。彼にとってテレビが仕事場であったように、人生そのものもまた、ひとつの愛すべき番組だったのでしょう。

『ザ・ベストテン』から『ニュースステーション』まで。テレビを変えた伝説

黒柳徹子との名コンビと音楽番組の革命

久米宏さんのキャリアを語る上で欠かせないのが、TBSのアナウンサー時代に担当した数々の人気番組です。特に1978年からスタートした『ザ・ベストテン』では、黒柳徹子さんとの絶妙なコンビネーションがお茶の間を釘付けにしました。黒柳さんの奔放なトークを久米さんが巧みに、時には毒舌を交えてさばく様子は、当時の音楽番組における革命的なスタイルでした。

早稲田大学を卒業後、1967年にTBSに入社した彼は、『ぴったしカン・カン』などのバラエティ番組でもその才能を発揮します。単なる進行役にとどまらず、出演者としての個性を前面に出すスタイルは、後のフリーアナウンサーという生き方の先駆けとなりました。生放送のスリルを楽しみ、予定調和を嫌う姿勢は、この頃からすでに確立されていたのです。

「中学生でもわかるニュース」を目指したNステの19年

1985年、久米さんはテレビ朝日の『ニュースステーション』でメインキャスターに就任し、日本の報道番組に劇的な変化をもたらしました。「中学生にもわかるニュース」をコンセプトに掲げ、専門用語を極力使わず、模型や積み木などの小道具を用いて視覚的に解説する手法は画期的でした。

以下に、久米さんが歩んできた放送史の主な出来事をまとめました。

【久米宏 放送史の歩み】

年代出来事・主な担当番組備考
1967年TBS入社アナウンサーとしてのキャリアをスタート
1978年『ザ・ベストテン』開始最高視聴率41.9%を記録する社会現象に
1979年TBS退社、フリーに転身オフィス・トゥー・ワン所属となる
1985年『ニュースステーション』開始報道番組にエンターテインメント性を導入
1999年ギャラクシー賞受賞久米宏個人として第36回テレビ部門個人賞を受賞
2004年『ニュースステーション』終了19年間の歴史に幕。最終回のビールが話題に
2026年1月1日 永眠81歳でその生涯を閉じる

アークヒルズのスタジオから発信される彼の言葉は、時にキャスターという枠を超え、一個人の意見として視聴者に届けられました。夜桜中継などの情緒的な企画も取り入れ、ニュースを「見るもの」から「感じるもの」へと昇華させた功績は計り知れません。そのスタイルは現在の多くの報道番組の礎となっています。

葬儀・お別れの会と、2000万円をかけた「生前墓」の真実

久米宏さんの葬儀は、生前の本人の強い希望により、近親者のみの密葬としてしめやかに執り行われました。事務所発表によると、形式にとらわれない彼らしく、派手な儀式は避け、静かに旅立つことを選んだそうです。

一方で、長年のファンや放送業界の仲間からは、「最後のお別れをしたい」という声が多く上がっており、今後「お別れの会」が開かれるかどうかに注目が集まっています。しかし、久米さんは生前から自身の死後について明確なビジョンを持っており、徹底した「終活」を行っていたことでも知られています。

実は2017年の時点で、久米さんは鎌倉の寺院に約2000万円をかけて「生前墓」を建立していました。お子さんのいない久米さん夫妻にとって、自分たちの亡き後のことを元気なうちに決めておくことは、残されるパートナーへの最大の思いやりだったのかもしれません。

彼がこだわったお墓選びと終活のポイントを、以下にまとめました。

  • 久米宏の終活・墓選びの3つのこだわり
    1. 自宅から通いやすい場所: 妻・麗子さんが気軽にお参りに行けるよう、アクセスの良さを重視しました。
    2. 永代供養料込みの安心感: 子供がいなくてもお寺が責任を持って管理してくれる契約を選び、将来の不安を解消しました。
    3. 先祖供養との統合: 実家のお墓を「墓じまい」し、自身の入る新しいお墓にまとめることで、祭祀の負担を一本化しました。

このように、合理的でありながらも深い愛情に基づいた準備は、ニュースを分かりやすく整理して伝えてきた久米さんらしい、見事な「人生の整理術」と言えるでしょう。

まとめ:自由な表現者・久米宏が遺したもの

久米宏さんという稀代のキャスターが私たちに遺したものは、単なる番組の視聴率や記録だけではありません。「ニュースはもっと自由でいい」「自分の言葉で語っていい」という、放送における民主主義のような空気を、彼はその身をもって証明し続けました。

権威におもねることなく、常に視聴者と同じ目線で疑問を投げかける姿勢。それは時に批判を浴びることもありましたが、それ以上に多くの信頼と共感を生み出しました。彼がテレビ画面の向こうにいるだけで、私たちは「何か新しいことが起こるかもしれない」というワクワク感を共有できていたのです。

久米さんにとってのテレビ人生は、2004年の『ニュースステーション』最終回で飲み干した一杯のビールのようであり、その人生の幕引きは、喉を潤すサイダーのように爽やかな、彼らしい「演出」に満ちたものでした。

湿っぽい別れを好まなかった久米さん。今頃は天国で、先に旅立った盟友たちと再会し、「あちらの世界」のニュースを早口で伝えているかもしれません。


あなたの記憶に残る「久米宏さんの名場面」はありますか?

ぜひ、ご家族や友人と当時の番組の思い出を語り合ってみてください。それが、昭和から令和を駆け抜けた一人の表現者への、何よりの供養になるはずです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次