日本ゴルフ界の至宝「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司氏が、2025年12月23日、78歳で逝去されました。
国内最多の94勝を誇り、青木功氏や中嶋常幸氏とともに「AON」として黄金時代を築いた伝説の訃報に、多くのファンが悲しみに暮れています。死因はS状結腸がんで、約1年前からステージ4の診断を受けていました。本記事では、長男・智春氏が明かした自宅療養の様子や、プロ野球界から転身しゴルフ界の頂点を極めた足跡を詳しく辿ります。
ジャンボ尾崎(尾崎将司)氏の訃報|死因と最期の詳細
日本ゴルフ界の歴史を塗り替えた巨星が、ついに力尽きました。
2025年12月23日、尾崎将司氏がS状結腸がんのため、78歳で死去したことが分かりました。この訃報は、長男である尾崎智春氏によって公式に発表されています。Yahoo!ニュースでも速報が流れ、日本中に衝撃と深い悲しみが広がっています。
葬儀は故人の遺志を尊重し、近親者のみの家族葬として執り行われます。ただし、これまでの多大なる功績を鑑み、後日「お別れの会」が開催される予定です。長年、彼を支え続けた多くのファンや関係者が、最期に感謝を伝える場となるでしょう。
死因のS状結腸がんとジャンボ尾崎の「現在」までの歩み
約1年前の診断と「ステージ4」での自宅療養
尾崎氏は約1年前、体調を崩して受診した際に「S状結腸がん」が見つかりました。S状結腸がんとは、大腸の出口に近いS字状の部分に発生する悪性腫瘍のことです。
診断時には既に「ステージ4」という、がんが他の臓器へ転移している状態でした。医師からは入院治療も提案されましたが、本人は住み慣れた自宅での自宅療養を強く希望したといいます。最後まで病院のベッドではなく、愛する家族と弟子たちに囲まれた環境で、自らの人生を全うする道を選びました。
プロ野球からゴルフ界のレジェンドへ
「ジャンボ」の原点は、意外にもマウンドの上にありました。
徳島・海南高校のエースとしてセンバツ優勝を果たし、1965年に西鉄ライオンズ(現・西武)へ入団。プロ野球選手として将来を期待されましたが、わずか3年でゴルフへの転身を決意します。
投手として鍛え上げた下半身と強靭な手首を武器に、ゴルフ界でも瞬く間に頭角を現しました。この異例のキャリアチェンジが、後に日本ゴルフ界を世界レベルへと押し上げる原動力となったのです。
伝説の「AON」時代|青木功・中嶋常幸との不滅の軌跡
1970年代から90年代にかけて、男子ゴルフは空前の熱狂に包まれました。その中心にいたのが、尾崎氏、青木功氏、中嶋常幸氏の3人、通称「AON」です。
彼らは互いに火花を散らし、国内ツアーを完全に席巻しました。特に日本オープンなどのメジャー大会で見せた激闘は、今もファンの間で伝説として語り継がれています。
尾崎氏の圧倒的な飛距離とカリスマ性は、多くの若者をゴルフ場へと向かわせました。2010年にはその功績が認められ、日本人として4人目の世界ゴルフ殿堂入りも果たしています。名実ともに、日本のゴルフ文化そのものを創り上げた真の王者でした。
尾崎三兄弟(健夫・直道)の絆と長男・尾崎智春氏の役割
日本ゴルフ界において、「尾崎三兄弟」の名は特別な響きを持っています。
長男の将司氏を筆頭に、次男の尾崎健夫(ジェット)氏、三男の尾崎直道(ジョー)氏が共に活躍しました。三人が揃って優勝を争う姿は、まさに日本ゴルフ界の黄金時代を象徴する光景だったといえます。
兄弟でありながら、時には最大のライバルとして切磋琢磨し、互いの実力を高め合ってきました。その強い絆は、将司氏が病に倒れた後も変わることはありませんでした。
また、近年は長男の尾崎智春氏が、父の活動を公私ともに支えてきました。智春氏は広報的な役割も担い、最期まで父のプライバシーを守りながら、ファンへ向けた発信を続けてきたのです。
師匠・ジャンボが佐久間朱莉ら「ジャンボ軍団」に遺したもの
選手としての活動の傍ら、尾崎氏は「ジャンボ軍団」として多くの後進を育成してきました。
千葉県にある「ジャンボ邸」の練習場からは、現在のゴルフ界を牽引するトッププロが次々と誕生しています。彼は自身の最年長優勝記録に甘んじることなく、常に次世代の育成に情熱を注いでいました。
特に女子ゴルフ界での功績は凄まじく、多くの門下生が活躍しています。
- 原英莉花選手:ダイナミックなゴルフでメジャーを制覇
- 佐久間朱莉選手:期待の若手として急成長
- 西郷真央選手:圧倒的なショットの精度で米ツアーにも挑戦
佐久間朱莉選手が成績を報告した際、師匠が「メジャーは獲ってないの?」と返したエピソードは有名です。この「愛のムチ」こそが、弟子たちに勝負師としての魂を植え付ける、ジャンボ流の教育論でした。
不滅のツアー記録まとめ|生涯獲得賞金26億円と94勝の金字塔
ジャンボ尾崎氏が打ち立てた記録は、どれも現代では考えられないほど圧倒的な数字ばかりです。
彼が積み上げた金字塔は、単なる数字以上の重みを持ち、日本ゴルフ界の目標であり続けています。特に国内94勝という記録は、今後破られることはないと言われるほどの前人未到の域に達しています。
以下に、主な生涯記録をまとめました。
| 記録項目 | 内容 |
| 国内ツアー通算勝利数 | 94勝(歴代1位) |
| 生涯獲得賞金 | 約26億8883万円(歴代1位) |
| 賞金王獲得回数 | 12回 |
| 最年長優勝記録 | 55歳241日 |
| エージシュート達成 | 2回(レギュラーツアー初) |
※エージシュート:自分の年齢以下のスコアで1ラウンドを回ること。驚異的な体力の証明です。
Yahoo!ニュース等のメディア反応とゴルフ界の追悼
訃報が流れた直後、Yahoo!ニュースのコメント欄やSNSは数えきれないほどの追悼メッセージで溢れました。
長年のライバルであった青木功氏は「また一人、時代を創った戦友が逝ってしまった」と悲しみを露わにしています。中嶋常幸氏も、巨星との別れを惜しむとともに、その偉大さを讃えるコメントを発表しました。
ネット上では、ファンから以下のような声が数多く寄せられています。
- 「ジャンボのいないゴルフ界は考えられない」
- 「あの力強いスイングは一生忘れません」
- 「最後まで自宅で戦い抜いた姿は、真のアスリート」
彼は単なるゴルファーではなく、昭和から令和にかけて日本中を勇気づけた国民的スターだったのです。
まとめ
ジャンボ尾崎氏は、日本ゴルフ界にそびえ立つ「巨大な大樹」のような存在でした。
プロ野球選手から転身し、圧倒的な飛距離を武器に頂点へ登り詰め、比類なき記録を樹立しました。晩年は病と闘いながらも自宅で弟子たちを見守り、最期まで「勝負師」としての生き様を貫きました。
彼が遺した94勝の記憶と、教えを受けた「ジャンボ軍団」の活躍は、これからも永遠に語り継がれていくでしょう。
稀代のレジェンド、尾崎将司氏の魂が安らかならんことを心よりお祈り申し上げます。
【ジャンボ尾崎氏の軌跡を振り返る】
彼の伝説的なプレー動画や名勝負の記録は、今も多くのメディアで公開されています。ぜひ、日本を熱狂させた「ジャンボのゴルフ」をもう一度目に焼き付けて、その偉大さを語り継いでいきましょう。
