2026年2月7日、山口県宇部市の長生炭鉱跡で行われていた潜水調査中に、台湾出身の男性ダイバーが死亡する痛ましい事故が発生しました。戦時中の水没事故で犠牲となった183人の遺骨収集を目指し、市民団体とプロダイバーチームが挑んできたこのプロジェクト。多くの人が、その勇気ある行動を見守っていた矢先の出来事でした。
なぜこれほど危険な調査が必要だったのか、疑問に思う方も多いのではないでしょうか。今回の事故は、80年以上前の悲劇と、現在まで続く遺骨収集の困難さを浮き彫りにしました。この記事では、事故の詳細な状況とともに、長生炭鉱の歴史と現状、そしてこれまでの調査経緯を交えて解説します。
長生炭鉱の潜水調査で発生した死亡事故の概要
2026年2月7日の正午頃、山口県宇部市の床波海岸沖にある「長生炭鉱」跡で、懸命な調査活動中に悲劇が起きました。当時、海底にある坑道の入り口付近で潜水調査を行っていたダイバーの男性が、何らかの原因で体調の異変を訴えました。
亡くなったのは、今回の調査のために台湾から招かれた熟練ダイバー、ウェイ・スーさん(57)です。報道や関係者の証言によると、ウェイさんは水中でけいれんを起こして意識不明となり、すぐに仲間のダイバーによって引き上げられましたが、搬送先の病院で死亡が確認されました。
今回の潜水調査は、視界が悪く潮流も速い非常に難しい条件下で行われていました。ウェイさんは経験豊富なプロフェッショナルでしたが、自然の厳しさと予測不能な事態が重なった可能性があります。警察や関係機関が詳しい死因や事故原因を調査中ですが、志半ばでの訃報に、関係者の間には深い悲しみが広がっています。
詳細情報
- 発生日時:2026年2月7日 正午頃
- 場所:山口県宇部市 床波海岸沖「長生炭鉱」跡
- 被害者:台湾出身の男性ダイバー(57歳・ウェイ氏)
- 状況:潜水中にけいれんを起こし意識不明、搬送先の病院で死亡確認
なぜ危険な潜水が必要だったのか?遺骨収集の目的と経緯
今回の事故を受けて、「なぜこれほどリスクの高い潜水調査を、市民の手で行わなければならなかったのか」という疑問の声が上がっています。その背景には、1942年(昭和17年)に起きた悲惨な水没事故と、80年以上もの間、海の中に遺骨が取り残されているという事実があります。
長生炭鉱では戦時中、石炭増産のために海底深くへと坑道が掘り進められました。しかし、1942年2月3日、坑道内で異常出水が発生し、朝鮮半島出身者136人を含む合計183人が逃げ遅れて犠牲となりました。彼らの遺骨は今もなお、暗い海底の坑道に眠ったままです。
国はこの問題に対し、安全性の確保が困難であることなどを理由に、長らく具体的な遺骨収集を行ってきませんでした。そこで立ち上がったのが、市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」です。彼らは「冷たい海の中に肉親を残したままにはできない」という遺族の切実な願いに応えるため、クラウドファンディングで資金を募り、自力での調査に踏み切りました。
| 長生炭鉱水没事故のデータ | 内容 |
| 発生年 | 1942年(昭和17年)2月3日 |
| 犠牲者数 | 183人(うち朝鮮半島出身者136人) |
| 事故原因 | 坑道内への異常出水(水没) |
| 現状 | 遺骨は長年海底に取り残されていた |
視界ゼロ・障害物との闘い|潜水調査の過酷な環境
今回の調査現場は、一般的なレジャーダイビングとは全く異なる、極めて過酷な環境でした。ダイバーたちが潜入を試みていたのは、海面に突き出た2本の排気筒、通称「ピーヤ」と呼ばれるコンクリート製の構造物から続く坑道内部です。
この内部は80年以上の歳月を経て老朽化が進んでおり、配管や木材が折り重なるように崩落しています。さらに、坑道内は泥や錆による濁りがひどく、ライトを照らしても指先すら見えない「視界不良(視界ゼロ)」の状態になることが珍しくありません。手探りで障害物を避けながら進む作業は、想像を絶する難易度です。
また、水深が40mを超える大深度潜水となるため、通常の空気ボンベでは「窒素酔い」などのリスクが高まります。そのため、今回の調査チームは「リブリーザー」と呼ばれる呼吸ガスを循環させる特殊装置や、ヘリウムなどを混ぜた混合ガス(トライミックス)を使用する高度な技術を駆使していました。今回の事故は、こうした最高レベルの装備と技術を持ってしても防ぎきれなかった、現場の厳しさを物語っています。
主な困難点
- ピーヤ(排気筒):内部には老朽化した配管や木材が折り重なり、崩落の危険性が高い。
- 視界不良:坑道内は濁りがひどく、視界がほぼゼロになることもある。
- 大深度潜水:水深40mを超えるため、窒素酔いを防ぐ混合ガス(トライミックス)が必要。
これまでの成果と課題|遺骨発見から事故発生まで
今回の事故は、調査が新たな段階に入った矢先の悲劇でした。実は事故の半年ほど前、2025年8月に行われた第6次調査では、長年の悲願であった遺骨の発見と収容に成功しています。この時は、海底の土砂の中から頭蓋骨の一部が見つかり、大きなニュースとなりました。
この成果は、日韓や台湾から集まった国際的なダイバーチームの連携によるものです。特に韓国人ダイバーを含むチームは、言葉の壁を越えて協力し合い、暗い海底から歴史の真実を引き上げようと奮闘しました。遺骨が見つかったことで、多くの遺族が「やっと家族が帰ってくるかもしれない」という希望を抱いたのです。
しかし、さらなる遺骨収集を目指して始まった2026年2月の第7回調査で、今回の事故が起きてしまいました。成果が出始めたことで調査への期待が高まる一方、現場では常に死と隣り合わせの緊張感が続いていたことがうかがえます。
時系列の整理
- 2024年:閉ざされていた坑口(入り口)を発見し、開けることに成功。
- 2025年8月:第6次調査で、ついに遺骨(頭蓋骨など)を発見・収容。
- 2026年2月:第7回調査を開始。直後に今回の死亡事故が発生。
国(厚労省)の対応と日韓関係への影響
市民団体がこれほどのリスクを背負って活動を続けてきた背景には、国の対応の遅れがあります。厚生労働省はこれまで、長生炭鉱の遺骨収集について「坑道の崩落などがあり、安全性に懸念がある」として、国の事業として実施することに消極的な姿勢を見せてきました。
専門家の試算では、国が万全の安全対策を講じて遺骨収集を行う場合、10億円を超える費用がかかると言われています。しかし、市民団体にはそのような莫大な資金はありません。その結果、自分たちで資金を集め、民間のダイバーに依頼するという「命がけの選択」をせざるを得なかったのが現実です。
また、政治的な動きも活発化していました。2026年1月に行われた日韓首脳会談では、高市首相と韓国の李大統領が会談し、遺骨のDNA型鑑定などで協力していくことが合意されたばかりでした。国同士が歩み寄りの姿勢を見せた直後の事故だけに、今後の公的支援のあり方や、日韓関係への影響が懸念されています。
まとめ
長生炭鉱の潜水調査で起きた今回の死亡事故は、あまりにも痛ましい出来事です。しかし、この悲劇は同時に、80年以上前の戦争の傷跡がいまだに癒えていないこと、そして遺骨収集という人道的な課題が、民間の善意と犠牲の上に成り立っていたという厳しい現実を突きつけました。
亡くなったダイバーの勇気ある行動と遺志は、決して無駄にはなりません。遺族たちが待ち望む「遺骨の帰還」を実現するためには、市民団体だけの努力に頼るのではなく、国が主導して安全な収集体制を整えることが急務です。
今回のニュースをきっかけに、私たち一人ひとりがこの問題に関心を持ち続けることが、次の動きを生み出す力になります。まずは長生炭鉱の歴史や、現在行われている活動について、より深く知ることから始めてみませんか。
