【10/11】天安門事件のITN未公開映像とは 約91分の中身と死者数の諸説

【10/11】天安門事件のITN未公開映像とは 約91分の中身と死者数の諸説

1989年の天安門事件の直後に、英国のニュース制作会社ITN(独立テレビニュース)の取材班が北京で秘密撮影した映像を、ITNの映像公開チャンネル「Frontline by ITN」が公開しています。2026年10月に入り、この映像を紹介する投稿がXで相次ぎ、「天安門事件の未公開映像」として注目を集めました。

ただし、いま話題の約91分の映像がYouTubeに公開されたのは2026年5月23日で、10月の新しい公開ではありません。本記事では、どの映像がいつ公開されたのか、何が映っているのか、死者数はなぜ200人から1万人まで説が割れるのかを、ITNの公開ページと各国の報道をもとに整理します。

この記事でわかること

  • 映像の正体:1989年にITNの取材班が撮った約91分の未編集素材を、「Frontline by ITN」が2026年5月23日に公開。
  • 映っているもの:鎮圧から数日後の北京の街、学生と市民の訴え、外国の記者が隠れて撮影する様子。
  • 死者数の諸説:中国当局は民間人200人余りと軍・警察数十人、英大使の公電は「少なくとも1万人」。数字の性質がまったく違う。
目次

天安門事件のITN未公開映像とは何か

ITNの取材班が鎮圧の数日後に北京で秘密撮影した約91分の未編集素材を、「Frontline by ITN」が公開したものです。

題名は「After the Tiananmen Square Massacre (1989) | Secretly Filmed News Rushes Days after Mass Deaths」。YouTubeの動画ページによると、公開日は2026年5月23日、長さは1時間30分47秒です。10月11日時点の再生回数は約26万回でした。

公開したのは英ITNの「Frontline by ITN」

ITNは英国のテレビ向けニュース制作会社で、世界最大級の歴史映像の保管庫を持っています。

台湾の中央通信社(中央社)は2026年6月4日、ITNの映像保管庫がデジタル修復の計画の一環としてこの映像を公開したと報じました。撮影したのは当時北京に駐在していたITNの記者たちで、街頭には部隊が厳重に配置されていたため、映像はすべて隠れて撮影されたものだと伝えています。

なぜ10月にXで話題になったのか

5月に公開された映像を紹介する投稿が、10月に入ってXで相次いだことがきっかけとみられます。

編集部が10月11日にXの話題のニュース欄を確認したところ、「英国ITN未公開映像が公開」という見出しが並んでいました。映像の中身そのものは本物のITNの素材ですが、公開日は5月で、10月に新しく出たものではない点は押さえておく必要があります。

映像には何が映っているのか

鎮圧から数日後の北京の街の様子と、学生や市民が外国の記者に向けて訴える声が、ナレーションなしで記録されています。

北米の中国語ニュースサイト文学城が2026年6月6日に掲載した記事によると、映像は編集もナレーションもない、現場の音が入ったままの素材です。当時の放送に使われたのはごく一部で、残りは保管庫に眠っていたと伝えています。中央社は、戦車の上に立つ学生、軍の排除で壊れた街頭、学生への取材、香港の市民からの支援物資や標語、そして日常に戻ろうとする市民の姿が映っていると報じました。

学生と市民の訴え

多くの学生や市民が、中国語と英語で「中国の人々を支援してほしい」と国際社会に呼びかけています。

文学城の記事によると、北京大学・中国人民大学・清華大学などの学生の代表が緊急の集合や連絡を呼びかける放送の音声も残っています。市民が拾った武器の残骸や弾薬を記者に見せる場面もあり、背景には外国の報道を否定する官製テレビの音声が流れています。

秘密撮影していた記者たちの姿

外国の取材班がホテルの部屋や車の中、街頭でこっそりカメラを構え、フィルムを替える様子まで映っています。

撮影したテープを国外へ持ち出す方法を話し合う場面もあるとされます。報道の自由が無い国で、記者がどのように記録を残したのかが分かる点で、事件そのものと同じくらい資料としての価値があります。

ITNが公開してきた天安門事件の映像一覧

ITNは2023年から2026年までに、天安門事件に関する映像を少なくとも5本YouTubeに出しています。

今回話題の映像だけでなく、2025年6月には約2時間13分の編集版も公開されています。公開日と長さを一覧にまとめました。

公開日 映像の題名(要約) 長さ
2023年6月9日 鎮圧直後を伝えた当時の報道 1分36秒
2023年9月4日 6月4日の鎮圧に至るまでの未編集素材 約1時間47分
2025年6月5日 軍による鎮圧の劇的な映像(編集版) 約2時間13分
2025年11月5日 抗議が広がる中の中国の軍の最高学府 約10分
2026年5月23日 鎮圧の数日後に秘密撮影した未編集素材(今回話題) 1時間30分47秒

表のとおり、ITNは天安門事件の保管映像を何年かにわたって公開しており、2025年と2026年には6月4日の前後に大型の映像を出しています。今回の約91分もその流れの1本です。

2025年6月の編集版には、ジェレミー・トンプソン記者やニック・ゴーイング記者らの当時の報道が入っていると文学城は伝えています。事件の始まりから鎮圧までを順に追いたい人は、こちらから見ると全体がつかみやすくなります。

天安門事件とは何だったのか

1989年春に北京の学生らが民主化を求めて天安門広場に集まり、6月3日夜から4日にかけて軍に武力で鎮圧された事件です。

中国では「六四」とも呼ばれます。中央社は、学生が中心となって政治改革と自由の拡大を求め、中国共産党の歴史で最大の政治抗議になったと説明しています。流れを3つの段階で示します。

1989年4月〜5月
学生が天安門広場に集まり、民主化を要求。抗議が全国に広がる

6月3日夜〜4日
軍が広場と周辺の道路に進み、武力で鎮圧

6月上旬以降
部隊が街を警戒する中、ITNが今回の映像を秘密撮影

今回の映像は、この3つ目の段階、つまり鎮圧が終わった直後の北京を記録したものです。銃撃の場面そのものではなく、その後に人々がどう語り、どう暮らしたかが中心になっています。

天安門事件の死者数は何人か

確定した数字はありません。中国当局は民間人200人余りと軍・警察数十人、英国大使の公電は「少なくとも1万人」と大きく開いています。

主な数字を、誰が、どんな根拠で出したかと並べてまとめました。

出したところ 死者数 数字の性質
中国当局(1989年6月30日、陳希同・北京市長の報告) 民間人200人余り(うち大学生36人)、部隊側は数十人 政府の公式発表。内訳の名簿は公開されていない
米国の外交公電(1989年6月)が紹介・検討した数字 500〜2,600人 学生側の推計(500人以上)から赤十字の数字(2,600人)まで。2,600人を大使館は「不合理ではない」と評価
中国赤十字の発表とされた数字 2,600人 赤十字自身は否定したと伝えられる
ヒューマン・ライツ・ウォッチ 2,000人 人権団体の推計
英国のドナルド駐中国大使の公電(2017年に英国で機密解除) 少なくとも1万人 中国政府関係者の友人から聞いた話。裏付けは無い

表のとおり、公式発表・外国政府の推計・伝聞が混ざっており、同じ物差しで比べられる数字ではありません。

なぜ数字が200人から1万人まで開くのか

中国当局が報道を規制し、犠牲者の名簿を公開せず、独立した調査も認めてこなかったためです。

英BBCは2017年、英国の機密解除文書に残るドナルド大使の公電が、死者を少なくとも1万人としていたと報じました。一方、中国専門メディアのThe China Projectは同じ年、この数字は匿名の1人の伝聞で裏付けが無いと反論し、米国の公電が紹介・検討した500〜2,600人の数字などを示しています。犠牲者の遺族でつくる「天安門の母」は、名前を確かめた死者を少しずつ積み上げてきましたが、その数は200人余りにとどまっています。一人ひとりの名前を確かめる作業そのものが、国内では妨げられてきたからです。

(編集部分析)死者数が37年たっても定まらないこと自体が、情報を国家が握る体制の性質をよく表していると評価できます。数字の大小を競うのではなく、「なぜ確かめられないのか」を問う視点が欠かせません。

中国政府は今どう説明しているか

中国政府は事件の評価を見直しておらず、外国からの批判を「事実をゆがめている」として退け続けています。

トルコの通信社アナドルは2025年6月4日、中国外務省の林剣報道官が、事件に触れた米国のルビオ国務長官の声明に対し、歴史の事実を悪意でゆがめるものだと反発したと報じました。中国国内では、事件を検索したり公に追悼したりすることが今も厳しく制限されています。

(編集部分析)ここで分けて考えるべきは、中国共産党と中国の人々です。映像の中で「中国の人々を支援してほしい」と訴えていたのは、ほかならぬ中国の学生と市民でした。記録を消そうとしているのは党の側であり、37年前の声を海外の保管庫が守っていたという事実は、情報の主権を外国の記録に頼らざるを得ない現実も示しています。

中国政府の説明と映像の中の声を並べてみると、事件をどう伝えるかが今も外交の争点であることが分かります。

日本は天安門事件のあと中国にどう向き合ったか

日本は欧米と並んで中国に制裁を科しましたが、その後は関係の修復を進め、1992年10月には天皇陛下の訪中が実現しました。

当時の中国の外相だった銭其琛(せん・きしん)氏は、2003年に回顧録『外交十記』を出しています。日本国際問題研究所の『国際問題』2007年7・8月号の書評は、同書が「中国は天皇陛下の訪中を国際社会への復帰のために利用した」という趣旨を記していることが日本で注目されたと紹介しています。同書には、天皇訪中が西側の対中制裁を打ち破るうえで積極的な効果を持ったという趣旨の記述があるとされます。

(編集部分析)事件の3年後の天皇訪中が、西側の対中包囲を崩すきっかけとして中国側に位置づけられていたとすれば、日本の善意が相手の戦略に組み込まれたことになります。皇室を外交の道具にさせない、という教訓は今の日中関係にもそのまま当てはまると評価できます。37年前の映像は、相手がどんな体制であるかを日本人が自分の目で確かめる材料になります。

天安門事件のITN映像はどこで見られるか

YouTubeの「Frontline by ITN」で、だれでも無料で見られます。日本語の字幕やナレーションはありません。

今回話題の約91分の映像は、YouTubeで「After the Tiananmen Square Massacre 1989」と検索すると出てきます。未編集の素材なので、話の筋を追うより、気になる場面を飛ばし見する見方が向いています。銃撃の場面は少ないものの、暴力を語る証言や現場の痕跡が映るため、見る人によってはつらく感じる内容です。

事件の流れを先に知りたい人は、2025年6月の約2時間13分の編集版から見るのがおすすめです。英語の記者のリポートが入っており、どこで何が起きたかがつかみやすくなっています。

Xで出回る切り抜き動画を見るときの注意

切り抜きは、どの映像のどの場面かを、元のITNの動画で確かめてから受け取るのが安全です。

話題になると、元の映像の一部を切り出し、独自の字幕や説明を付けた動画がXやほかの動画サイトに次々と出回ります。字幕の訳が正確とは限らず、別の年や別の事件の映像が混ざることもあります。今回も「37年ぶりに公開」という説明が、5月の公開から5か月たってから広がりました。

確かめ方は難しくありません。投稿に付いている説明から題名や公開日を拾い、Frontline by ITNのチャンネルで同じ題名の動画を探します。長さと公開日が一致すれば元の素材だと判断できます。一致しない場合や出所が書かれていない場合は、事件の資料としては使わず、話題の一つとして受け止めるにとどめるのがよいでしょう。

(編集部分析)中国当局が記録を消そうとする一方で、自由な側の国では情報があふれ、真偽の確かめが読者任せになっています。一次の映像に自分でたどり着く習慣こそが、情報を他人に握らせないための一番の備えだと評価できます。

天安門事件のITN映像のよくある質問

映像は無料で見られますが、どの版を見るか、だれが作ったのかで迷いやすいので、要点を3つにまとめました。

Q. 91分版と2時間13分版はどう違いますか?

A. 91分版は鎮圧の数日後を撮った未編集素材で、ナレーションがありません。2時間13分版は2025年6月公開の編集版で、記者のリポートが入り、事件の始まりから鎮圧までを追えます。

Q. 中国本土からこの映像は見られますか?

A. 中国本土ではYouTube自体が遮断されているため、通常の方法では見られません。

Q. ITNとはどんな会社ですか?

A. 英国のテレビ向けニュースを制作する会社です。世界最大級の歴史映像の保管庫を持ち、その映像をYouTubeの「Frontline by ITN」で公開しています。

映像は今も公開が続いており、毎年6月4日の前後に新しい素材が出る可能性があります。

参考情報

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